静岡県  
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Osmanthus fragrans
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山は山でも命山
 遠州灘から、台風による高潮や津波などが海岸近くの村を襲います。その時、逃げ込む山が、「命山」です。
台風通過は何故か大潮と関連することが多く、高潮も相まって、水害が毎年のように発生します。場所によっては、高潮は3mを超えるところもあるそうです。
沢山の犠牲が生まれた結果、江戸時代に生まれたのが、命山です。

 古くは、延宝8年(1680年)8月6日に袋井市の浅羽、横須賀地域に来襲した台風で、村全体が襲われ、300名もの人命が失われたからです。
 村人は独自に塚を築いて、その後は高潮が発生する度に避難していたとのこと。

 江戸時代になり、人口増加で新田開発が行われる者の、今まで使っていなかったところに人が住み着くようになります。しかし、災害についての知識は0です。住んでいなかったのですから、体験もなし。

 時代は前後しますが、寛文年中(1661〜75年)には、本多越前守殿が、浜辺近くの村々に、水塚(みづか)を作るように命令していたとのこと。

 水塚とは、洪水の際に避難する水防施設で、母屋よりも数10センチから3mほど盛土したものです。母屋を持っていない貧しい農民が逃げる場所は、助命壇ともいう水塚で、神社を兼ねている場合もあったそうです。

 でも、袋井市の人達は、命が助かったということで、命山と呼ぶようになったのです。この他に、助け山、命塚ともいう地域もあるとのこと。

住んではいけないような場所を開発し、分譲地を作っているけど、新田を作りつつ避難場所も併せて作った江戸時代と比べると、高度経済成長期からの日本人は、ダメになっているんだろうな。災害に遭わなくなった国土作りは、本当に正しかったのだろうか。





大野命山
袋井市大野3435
南北32m×東西24m 高さ3.5m

中新田命山
袋井市中新田557-1
南北30.5m×東西27m 高さ5m