島根県  
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Pinus thunbergii
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Paeonia saffruticosa
 
杜(森)の話    
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  3本の矢だけではない松江城の柱      
  1月20日

     
漁師の恨み歌
美保関町の関の五本松。
関の五本松は、隠岐通いの船頭や山あてにしていた漁師さん達にとって大切な航路目標だったのです。美保関は天然の良港としても有名なんです。

しかし、バカな殿さん(松江藩主)が美保神社参拝を兼ねて巡視の際、松の木の枝が槍がかかるということで、切らせたんです。無礼者といって。

隠岐からかえってきた船頭は、関の五本松を観て、やっと帰り着いた。ホッと胸をなで下ろしたそうです。
そんな心の寄せ所であった松の木を切るとは、なんとバカな殿さんだと声に出していえない人々は、歌に託したんです。
これが民謡の「関の五本松節」です



関の五本松節

ハァ、関の五本松、ドッコイショ
一本切りゃ四本。あとは切られぬ、夫婦松(みょうとまつ)
ショコ、アショコ、アショコホイノー松、ホィ

ハァ、逢うで嬉しや、ドッコイショ
顔美保の関(かおみほのせき)、早くなりたい夫婦松
ショコ、アショコ、アショコホイノー松 ホィ

ハァ、関の女は、ドッコイショ
医者より偉い縞の財布の脈をとる
ショコ、アショコ、アショコホイノー松、ホィ

ハァ、関と境にドッコイショ
一本橋かけて一夜通いがしてみたい。
ショコ、アショコ、アショコホイノー松、ホィ

ハァ、関はよいとこ、ドッコイショ
松さえ契る神代ながらの恋の跡
ショコ、アショコ、アショコホイノー松、ホィ

ハァ、関の岬に、ドッコイショ
蛇が住むそうな大きな蛇じゃげな、嘘じゃげな
ショコ、アショコ、アショコホイノー松、ホィ


 
樹木医のスタートは出雲市
築地松を中心に、防風林として家屋を守る松に囲まれている出雲市ですが、何も手入れなしに維持できるわけではありません。

特に、築地松が枯れたりすれば、あの家は金がない=手入れできない=没落中と周囲から笑われる羽目に。

葉ふるい病、褐斑葉枯病、赤斑葉枯病の対応策を住民が必ず知っているわけではありません。加えて、松食い虫被害もあります。どうすれば、信頼できる人に相談すれば良いか。

その解決のために出来たのが、出雲市の樹医制度です。平成元年(1989年)のことです。市が窓口となり、市民の疑問に答える。そして、専門家を派遣して、対処方法を教えるという制度です。林業試験場OB、農林高校教官OB、現役の造園会社の技術者等、樹木の病虫害に詳しい専門家6名で、スタートしたそうです。

その一方で、小学校の5、6年生には、樹木ノートを配り、地元の樹木について関心を持つというソフト面も補ったそうです。これは、岩國哲人市長(1989〜1993年)の時の話です。

この話が、林野庁に届き、平成3年(1991年)に樹木医制度が誕生します。出雲市発の試みが、全国規模になったのです。平成3年から平成7年までは林野庁の事業として、林野庁長官が認定し、平成8年から12年は、農林水産大臣、国が認定する資格になりました。しかし、その後、小泉内閣の民間に出来ることは民間にということで、日本の樹木医制度は、平成13年より、日本緑化センターが認定しています。

なお、出雲市では今なお「樹医」といっています。でも、自民党に報告したときに、樹医と獣医は紛らわしいねという発言を聞いて、その場で、「樹木医」が誕生したそうです。