長野県  
  県木:シラカバ
Betula platyphylla
県花:リンドウ
Gentiana triflora
 
杜(森)の話    
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  頭痛を治すのは櫛   岩(楡沢山の割り石)が境界線  
  シナノキの国:信濃      
  柱を立ててチンチンを      
  お化けと柿の木      
  モグラ除けの箸      
  教育を支えた先人の贈り物      
  山菜でPOWER UP
森林浴発祥の地
     
ウルシin長野
木曽漆器
17世紀の初めに産業として確立したといわれていますが一説には14世紀からとも

木曽ということで、ヒノキを代表に、カツラやトチノキを原木として木肌の美しさを活かす春慶、縞模様のある幾層にも塗る堆朱塗り等の塗り方をします。




木曽漆器館へようこそ
http://shikkikan.narakawa.com/


 
ヤナギin長野
ヤナギにまつわる迷信(?)
◎上田市にある国分寺八日堂の裸祭り
 このとき「蘇民将来」と書いた護符を奪い合うとか。
 この護符はドロヤナギの木を六角中に削ったものとか
 これもヤナギの霊力にあやかったんでしょうね


頭痛を治すのは櫛
江戸時代中期に、木曽の妻籠に住んでいた美人の話
この美人はお六さんといい旅籠の看板娘
しかし、大変な頭痛持ち

そこで、御嶽山に参ったときにミネバリノキというカンバの仲間のすごく堅い木で出来た櫛で髪をすくと頭痛が治るとというお告げ
木曽薮原宿の「お六櫛」は、その後日本中の女性のあこがれの櫛になったとか
シナノキの国:信濃
シナノキがいっぱいあるのでシナノキの国
それが語源の信濃

シナノキは、繊維が取れるので服の原料になったんです。といっても昔の話。そして、シナノキの布はシナ布といいます。アイヌの人たちはちょっと前まで利用していたシナ布。シナの語源は「結ぶ」ということらしく繊維を割いてロープにしたり、生活に必要な木なんです。

船のロープがシナノキから出来ているかも知れません

柱を立ててチンチンを
柱立ての風習、オンバシラ
南安曇郡の三郷村でが、町の4カ所に柱を立てたんです。1月7日に柱を立て、20日にしまうのですが、子供が授かった家や、結婚した家、家を新築した家、幸せな家は御神酒を提供したとか

五穀豊穣を祈って、柱の先にオチンチンこと。木彫りの男根(場所によっては張りぼて)を飾ります。大地は女性、女神なんです。ということで豊かな収穫を願って女神が喜ぶものを神事に使ったんです。神聖なことなんですけどね

諏訪のオンバシラ(御柱祭:みはしらさい)も同じで、山と、空(天)とを結ぶ意味もあるんでしょうね。





三郷村
http://www.misato.or.jp/


お化けと柿の木
お化けといえば、柳なのに、ここでは、柿の木に出るそうで、亡くなった霊は生前住んでいたところの柿木に寄りつくとのこと。

柿の木は簡単に枝が折れやすいので、死と関連づけられやすいとか。違うのかな?

長野県東筑摩郡のはなし


モグラ除けの箸
小谷村の風習
アズキ粥を食べる時の箸は、クルミの木。けえのはし(粥の箸)クルミの木を割って両端を細く、真ん中を太くしたそんな箸です。

1月15日に粥を食べたあとは、しまっておき、田や畑の隅に立てて、モグラ除けのまじないにしたんだそうです。


教育を支えた先人の贈り物
教育県長野が長野県人の誇りとか。何を持って教育県なのかは不明ですが。

その教育県を支えたのが慣行造林で育まれた木だったんです。戦後、学校が足りないと人口増加によって増えた子供達を学ばせるための学舎がない。学校が不足したんです。

その時、山から次々と木が提供されたんです。
官行造林という所有権のある土地に国が植林するというモノ。大正9年(1920年)から昭和36年(1961年)まで施行された「公有林野等官行造林法(大正9年法律第7号)」に従って、国と地方公共団体が契約して行う分収造林事業(分け前を国と地方公共団体で山分けor負担)です。所有権といっても、個人というのではなく、村や部落の共有の財産だったところ。

実際には明治時代から植えられていたそうです。そういった木が大きく生長して、学校不足で教育が受けられないということがないよう、学舎として消えていきました。

地元については町長や村長、部落長が任命した看守人が、年に数回造林地を見回り、境界の保全をはじめ造林地の保全管理等をして、財産管理を行ってきたそうです。

まさか、明治の人達は、敗戦後の疲れ切った日本の再生のために木を植えたわけではないでしょうが、明日のためではなく、3代、4代先を見て植林をした姿には頭が上がりません。そんなに財政的に豊かではなかったのに。そして、その学校を建てるために伐られたところは、未来の人達のために再植林されました。

山菜でPOWER UP
田植え煮物という飯山市に伝わる郷土料理。田植えは短期間にしなければならない重労働。このため、体力を高めるため、山菜を取り入れた煮物をみんなで食べたんです。

ニシン

森林浴発祥の地

赤沢自然休養林
SHINRINYOKUという言葉が、日本医科大学の李卿先生によって、世界中に名が広がっていっています。