熊本県  
  県木:クスノキ
Cinnamomum camphora
県花:リンドウ
Gentiana triflora
 
杜(森)の話    
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  市町村花見   蜂捕り物語り    恨みで実が出来ない  
      菊池渓谷の水天宮様   お乳の出る公孫樹  
      吉無田水源を注連縄で守る   水不足対策の公孫樹  
      ヤナギin熊本   収穫の豊凶を占う桜  
      魚付き林in天草    
      旅人に許された権利    
      吉無田の起こり     
      松葉が支える通潤橋    
      南蛮柿は無花果    
      竹が支える橋    
           
蜂捕り物語り
菊池渓谷の話
沢山の家族連れが訪れる渓谷

しかし、山ということで蜂に襲われる可能性があります。
ここでの安全のために、林野庁の人が行っていることは、ペットボトルに、オレンジジュースと焼酎をいれ、木に吊します。だいたい5月頃に準備します。

オレンジジュースによって女王鉢が引きよせられ、焼酎にドボン、酔っぱらって溺れ死に

そして、その一帯にはスズメバチがいなくなるんです。
見えないところで、安全を守っているんですね



 




菊池渓谷の水天宮様
阿蘇の外輪山から流れ出す菊池渓谷
100年から250年生の広葉樹、100年以上の針葉樹
もともと、江戸時代から植林がなされていたとか

日本名水百選、森林浴の森、熊本緑の百選等々
森林のレクリエーション

でも、観光資源だけじゃないんです
ここは、菊池平野およびその下流の大切な水源
農業用水および生活用水として

その水源に感謝を込めて、水神様を祭っているのです。


このお宮の横に美味しい水がでています



吉無田水源林を注連縄で守る
熊本名水100選の一つ

沢山の人が水を取りに来ていたのが、印象的だったのですが、上野台地の田畑の水源を守るため、スギの人工林ですが取水地の近くのスギには注連縄が

神がいるとかいないとかは別に、注連縄する事によって木を切らせないんですよね

心を制御する1本の縄って、日本的ですね

ちなみに、ここには、山の神と水の神が一緒にというか道を挟んであります。





 
山の神と、水の神
ヤナギin熊本
ヤナギにまつわる迷信(?)
◎挫傷にはヤナギの葉を煎じて飲むと良い

魚付き林in天草
天草の苓北町の江戸時代の話
魚付き林というのは、その存在によって漁業が出来るありがたい森のこと。そこでのお約束ごと

(1)村の山に、マツの植林義務があった
(2)2カ所の藩の山にマツを2苗づつ植えること
(3)その苗木に植えた人の名札をつけること
(4)年寄り役、百姓代、肝煎りの立ち会いのもとで
  根付いたかを検分
(5)ダメなら、再度植林
(6)私有地の森も30年伐期で勝手に伐ってはダメ

という厳重な管理を行っていました。
もし、守らなければ、村八分
時には死罪


旅人に許された権利
人吉地方の話です。
カキノキに関する取り決め
「下のカキは、旅人に、上のカキは鳥に」
そして、村の人はまん中のカキを採るんです。


吉無田の起こり
吉無田水源は、昔より豊富な水がわき出ていたとか、寛永10年(1633年)頃に、この地域の実力者。総庄屋が、藩主に丘陵地域の原野の開墾を願い出て水田を作って、農民の生活水準を上げました。このため、10年ほどかけて用水路を掘削したんです。

用水路を井手と呼び、寛永井手、元禄井手と呼びます。

住民の生活の向上に伴い、さらに開墾によって、田が増えていき、水不足に

用水路が出来て150年ほどたった文化年間
(1804〜1817年)に、再び用水路を大改修
このときに水源一体に広大な原野を水源涵養として植林を始めたんです。

30年間に240万本のスギとヒノキを植えたんです。
森の成林、森林面積の増加によってさらに水の量が増え、江戸末期の安政年間(1853〜1858年)にさらに新しい用水路が造られ、さらに多くの田んぼに農業用水が供給されました。

明治45年(1912年)に水源涵養保安林に指定

今なお、毎日5トンの水が湧き出ています。

(御船町文化財保護委員の資料を基に作成)





★ 恐竜の郷 御船町 ★
http://www.krnet.ne.jp/mifune/
 吉無田水源
 http://www.krnet.ne.jp/mifune/suigen.html
熊本国府高等学校
http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/index.html
 水のページより
 植林の効果
 http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/mizu/kanyou.html


    松葉が支える通潤橋
阿蘇山の火山灰のせいで降った雨がすぐにしみこんでしまうところでは、水の確保が大変。このために出来たのが、用水路ですが、隣の大地に水を配るには、川を越えなければなりません。
そこで出来たのが、通潤橋です。サイフォンの原理を使っていることでも有名。

嘉永5年(1852年)から安政元年(1854年)にかけて、ド素人の矢部郷の惣庄屋、布田保之助が企画設計し、技術者である石工の橋本勘五郎と水を求めていた地元民の協力、そして肥後藩の資金協力で出来た通水橋です。

 橋の長さは、75.6m、幅6.3m、高さ20.2m、アーチのちょっけ28.2mの橋ですが、水圧に耐えられるだけの石材で出来た通水孔(30cm角)の接合口から水が漏れないように、八斗漆喰 (はっとしっくい) で固めたのです。

この八斗漆喰の材料が、土、砂、貝灰、塩に松葉汁を加えた物だったのです。

 なお、通水缶の中に松の丸太を刳り抜いた木管をはめ込んで、地震の緩衝材にしていたのです。

南蛮柿は無花果
天草地方では、無花果(Ficus carica)のことを南蛮柿と言います。遡ること16世紀に侵略に来たポルトガルのディオゴ?メスキータ神父(矢印の人物)が故郷と似た気候と言うことで栽培を行います。
外国の柿みたいな果物と言うことで、南蛮柿という名に。

このため、天草が日本最初の無花果の栽培地になったそうです。




天正遣欧少年使節に
    竹が支える橋
竹筋橋で有名な橋は、旧国鉄宮原線の幸野川橋梁。この橋は、昭和10年〜29年にかけて建設されたのですが、第二次世界大戦の資材不足で鉄筋を入手することが困難な中、どう強度を持たせるか、代替できる物はないかで、利用されたのが竹です。

土木学会の文化遺産に登録されています。