秋田県  
  県木:秋田スギ
Cryptomeria japonica
県花:フキノトウ
Petasites japonicus
 
杜(森)の話    
杜(森)の話
森を作った人・守った人 杜(森)のリンク どうでもいい話 戻る
             
マタギの落とし物捜し  秋田犬は、大館犬でまたぎ犬    市町村花見
秋田炭 山仕事の食事    
なまはげのルーツは ヤナギin秋田    
ウルシin秋田 ケヤキの防火帯    
命の食べ物、松皮餅 マタギの雪崩対策    
砂丘の植林 鳥海山の山頂問題    
松明がクニマス(国鱒)    
夏の鍋     
秋田藩の盗伐対策     
秋田杉の宿    
秋田犬は、大館犬でまたぎ犬
 ハチ公で有名な秋田犬。元々は、秋田県北部でツキノワグマを捕らえるための山岳狩猟犬だったのです。このため、マタギ犬です。厳しい冬山で主人である猟師の言うことを聞き、猟の手助けをしてきた犬なんです。

 江戸時代の1630年代に、大館藩主佐竹候が、武士の闘志を養うために、闘犬を育成したのが始まりとか。外様大名であったため、訓練などは控えざるを得なかったからだそうです。

いろいろな犬を掛け合わせ、大館犬が登場。その後、昭和に入り秋田犬と名を変えます。この闘犬が、大館犬として全国に名を馳せます。

大館市内には、秋田犬(あきたいぬ)のオブジェがたくさんあるそうです。大館八幡神社の狛犬は、秋田犬が勤めています。

 
山仕事の食事
 炭焼きや伐採などの山仕事の食事は、簡単に出来ることが基本です。しかも、炭焼きは冬の仕事なので、温かい食事が不可欠。

 残りご飯を練って鍋に入れたり、杉の棒に絡めて焼いたそうです。もちろん、そのまま焼くのではなく、味噌をつけて焼いたそうです。塩分補給なしでは仕事になりませんから。
 秋田杉に半練りのご飯を丸めたものを「たんぽ」と呼んだそうです。狩りに出た殿様が、マタギの小屋で出たものを見て、たんぽ槍みたいと言ったから、たんぽというらしいのですが、たんぽとは、綿を布で包んだもので、稽古用の槍を言います。
 そのたんぽを切って鍋に入れたのが、きりたんぽ鍋。今は、比内鶏ですが、山仕事の人たちですから、当時は山鳥。そして山菜を入れて食べていました。

 
ヤナギin秋田
ヤナギにまつわる迷信(?)
◎家の新築時にヤナギの木を使わない。


 
ケヤキの防火帯
秋田市の那波家の防火並木
 
マタギの雪崩対策
アオシシ猟は、積雪の山の中で行う猟。その猟で一番の敵は、ツキノワグマではなく、新雪の表層雪崩です。熊は冬眠中ですので、

雪崩を起こさない掟が、山に入ったら大声で話さないこと。歌を歌ってはいけない。咳払いをしてはいけない、豆を煎ってはいけない。豆を煎るくらいの音でも表層雪崩を誘発する可能性があると言うことを知っていたからでしょう。
実際、雪の中で豆を煎るようなことはしませんので。

手持ちの槍の柄で斜面積雪の安定度合いも確認しました。雪庇の可能性があるためです。

ちなみに、アオシシ猟とはカモシカ猟のことです。


 























































由利本荘市
https://www.city.yurihonjo.lg.jp/
 サイバー記念館
  鳥海山の山頂論争
鳥海山の山頂問題
 鳥海山の山頂は、山形県。7合目当たりから山頂の避けるように、山形県の秋田県の県境がなっています。


 これは、庄内藩の策謀によって、矢島藩が裁判で負けたから。三方領地替えを防いだ庄内藩。悪知恵だけは、凄かったという事なんでしょうかね。
 
 鳥海山は、五穀豊穣の神として古くから大物忌神が祭られた宗教の山、火山です。秋田県の矢島口から発展したのが、当山派の真言宗系修験で、山形県の庄内地方から発展したのが、本山派の天台宗派。
 山頂の支配権、嶺境争論に発展し、元禄14年(1701年)山上の本社造り替えに、土地争いに決着を付けようと、訴訟に発展。裁判で決めようと。
 土地問題、宗教同士のぶつかり合いでもあったが、実は、分水嶺、水利権の争いでもあったのです。
 最初の軍配は、庄内藩側に。
 負けた矢島藩側は、元禄16年(1703年)9月23日に、不服として再度訴えるのでが、幕府の寺社奉行が動かざるを得ない結果となり、その時の奉行本多弾正は、誤読したのか、矢島藩の訴えを退ける結果に。
 次に、矢島藩は百姓の名を使って幕府の評定所に訴訟を起こします。
 宝永元年(1704年)6月19日に、幕府は、大目付杉山安兵衛、絵図方町野惣右衛門等42名の検使を現地に派遣し、地図と模型を使って検証、実地測量をしました。
 両藩とも、この検使を接待したそうですが、一切受け取らなかったとか。それだけ緊張感のある土地争いだったと。
 庄内藩側が、噴火によって消失した薬師寺の場所を示す証拠として、彼らの思う場所に木灰を埋めたらしいと。
 それが証拠となってしまい、歪な県境になってしまい今に至っていると。
 1万石の矢島藩VS14万石の庄内藩。結果は、庄内藩の勝ちとなったが、矢島藩の交渉役であった金子某という家老は、職を辞して、庄内藩の相手方の家老の自宅の前で、腹を掻っ捌いたと言い残されているそうです。