岐阜県    
  県木:イチイ
Taxus cuspidata
県花:レンゲソウ
Astragalus sinicus
 
杜(森)の話    
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  スエキドチ   枡は木曽ヒノキの有効利用  
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水舟(水槽)の使い方

 
   
  
音が知らせる
木曽五木を守るためには、音で守ることにしたんです。木曽五木以外は伐ってもよいのですが、ノコギリで伐ってはいけなかったのです。

山に持ち込んでよいのは、斧と鉞(まさかり)。これらで木を倒そうとすれば自ずと音が発生します。静かな山の中に、カーンと音がすれば、木を切っているというのが遠くからも分かります。

斧で切り倒すと木口がとがった形になるので、鉛筆をナイフで削った感じになるので、輸送時に木口から割れが入るのを防ぐ効果もあったそうです。



 
木地師からの技術移転
飛騨の高山祭、日本三大美祭の一つで、日枝神社の春の山王祭と、桜山八幡宮の秋の八幡祭の総称です。

この時の見所として、屋台があります。屋台というのは、山車です。この屋台の細工物は、轆轤無しでは語れません。そしてその技術は木地師から教えてもらった証でもあるのです。

なお、東山にある宗猷寺(そうゆうじ)には、木地師の集団墓地があります。


雪崩にケヤキ
富山県との県境に位置し、急峻な山の中にある旧宮川町の町の木は、ケヤキ(Zelkova serrata)でした。ケヤキの根は、広く根を張り、粘る性格から、町になくてはならない木ということで、町の木になったのです。今は、市町村合併で飛騨市になっています。

なぜ、ケヤキかといえば、傾斜地の家の後ろ側、山側にケヤキを植えていたからなのです。目的は、雪崩対策なのです。根が広く張っているため、倒れにくい、そして雪を止めてくれるということです。倒伏抵抗が強いのです。

また、鉄道防雪林もケヤキで構成されています。昭和10年(1935年)に作られました。高山線の一部で見えるそうです。




枡は木曽ヒノキの有効利用
 戦前は、名古屋が枡の一大生産地でした。木曽ヒノキの集積場で、製材時の端材を利用して作られていたからです。明治時代に、職人として名古屋の桶屋に丁稚奉公していた人が、大垣に戻って枡づくりを始めます。

 材料のヒノキは、木曽川の上流からたくさん流れてくるので、原料に困ることはありません。木曽ヒノキだけでなく東濃ヒノキもあります。そしてヒノキ(Chamaecyparis obtusa)自身、淡い紅色で、光沢、良い香りで、狂いが少なく、水に強い=長持ちし、抗菌作用も有りと升として最適の樹種なのです。日常的にお米を計量しますから。今は、升酒の方が利用されているかもしれません。

 大垣市が日本の枡の生産量日本1になったかといえば、名古屋大空襲で、生産拠点を失ったからです。大垣市が支えていたのに、支える名古屋が消えたため、そのまま大垣市が日本一になったということです。


金魚すくいにはもってこいの水うちわ
 岐阜の伝統工芸品である水うちわ。水うちわの由来は、船の上で、川の水をつけて扇ぎ、涼を求めたからだそうです。
 なので、水に強い紙で出来ています。

 この原料は、雁皮紙。美濃紙です。元々、美濃の国には、楮(Broussonetia kazinoki × B. papyrifera)、三椏(Edgeworthia chrysantha)が豊富にあり、雁皮(Diplomorpha sikokiana)まで揃っていました。また、奈良時代の戸籍に使用する紙は、現地調達が原則であったため、1300年以上の歴史ある和紙なのです。

 雁皮から出来た和紙に天然のニスを塗って強度を高めます。竹は、周辺の竹林から調達。

 別名、岐阜うちわと呼び、室町時代からの工芸品だそうです。鵜飼いの船に乗船したお客さんに提供したみたいで、水に強い団扇になったとか。


美濃和紙の里会館
http://www.city.gifu.jp/minogami/  
岐阜県紙業連合会
http:// www. chuokai-gifu.or.jp/kamiren/
美濃和紙ブランド協同組合
http://www.minowashi-br.com
家田紙工株式会社
http://www.iedashikou.com/














葉が落ちると初雪
すべての葉が落ちた翌日は、初雪と言われている飛騨国分寺の大銀杏。樹齢が1200年以上と言われており、奈良時代に聖武天皇が国分寺を建てたときに植栽されたイチョウだそうです。(銀杏の日本への伝来は、鎌倉時代とか、室町時代、いやはや原生していたなどいろいろな説があり、本当の樹齢は成長錘で穴を開けるか、伐って年輪を数えるしかないんだと思います。)

一斉に葉を落とすと、その年は大雪になる伝説があるそうです。

また、乳と呼ばれる気根がたくさん垂れ下がっているため、「乳イチョウ」とも呼ばれています。乳の出の悪い母親が参拝すると、お乳の出が良くなるといわれており、母親の信仰も集めています。別名、「乳銀杏」といいます。なお、1mの高さに、小さな石仏が祭られているとのこと。

場所 506-0007
    高山市総和町1丁目83