基本情報
| 国名 | エストニア共和国 Republic of Estonia |
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| 面積 | 4.5万km2 (日本の約9分の1) (北海道の約6割) |
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| 人口 | 150万人 | |
| 首都 | タリン | |
| 民族 | エストニア人 ロシア人 ウクライナ人 ベラルーシ人 |
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| 言語 | エストニア語 | |
| 宗教 | プロテスタント(ルター派) ロシア正教 |
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| 主要産業 | ||
| GNI (一人あたり) |
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| 通貨 | ||
| 国旗は19世紀のエストニア学生協会の旗が基本。1922年に制定され、青は矢車菊で古代の自由、黒は奪われた独立、白は明るい未来を意味している。 | ||
歴史
| 紀元前30年 | エストニア人がエストニアに到着? |
| 1187年 | エストニアのバイキングがスェーデンの首都(スィグトゥーナ)を略奪 |
| 1211年 | 帯剣騎士団(ドイツ騎士団)の侵略開始。1944年までドイツの影響を受ける |
| 1219年 | デンマーク(ヴァルデマラ2世)がタリン(デンマーク人の町の意)とエストニア北部を占領 |
| 1227年 | 帯剣騎士団(ドイツ騎士団)がタリンを占領 |
| 1238年 | デンマーク タリンを再支配 |
| 1285年 | タリンがハンザ同盟 |
| 1343〜45年 | エストニア人の蜂起。デンマークは帯剣騎士団(ドイツ騎士団)へ売却。 再び帯剣騎士団(ドイツ騎士団)の支配下に |
| 1525年 | エストニア語の本が出版 |
| 1558年 | リヴォニア戦争。ドイツ騎士団支配崩壊。同時に、北部はスウェーデン領、南部はポーランド=リトアニア公国領に(その後スウェーデンはしだいに領土を拡大) |
| 1632年 | ドルパット(タルト)大学創立 |
| 17世紀 | エストニアがスウェーデン領となる。 |
| 1700年 | 北方戦争(〜1721年)。エストニアは帝政ロシア領となる。 |
| 1861年 | 民族叙事詩「カレヴィポエグ(Kalevipoeg)」の出版 |
| 1918年2月24日 | エストニア共和国の独立宣言 (エストニア独立記念日)。 |
| 1918年2月 | ドイツ軍によるエストニア占領。(11月19日まで) |
| 1918年11月28日 | ソビエト・ロシア軍がエストニアに侵入し,エストニア独立戦争が始まる。 |
| 1919年6月23日 | バルト・ドイツ軍に勝利する。戦勝記念日 |
| 1920年2月2日 | タルト平和条約が調印され,独立戦争が終結。 ソビエト・ロシアは,エストニア共和国を無条件で承認。 |
| 1939年8月23日 | ソ連邦とドイツの間で独ソ不可侵条約(モロトフ・リッベントロープ議定書)が調印される。 エストニアはソ連のモノとされる |
| 1939年9月23日 | エストニアはソ連に相互援助協定を有無をいわさず締結。 ソ連はエストニア国内に軍事基地を置く権利を獲得する。 |
| 1940年6月17日 | エストニア国内のソ連軍が増強される。条約違反としてソ連によるエストニア占領が始まる。 |
| 1940年6月21日 | 傀儡政権誕生 |
| 1940年8月6日 | ソ連に併合 |
| 1941年 〜 1944年 | ドイツ軍によるエストニア占領 |
| 1944年9月20日 | 独立回復のための政府が組織される。エストニア政府の国外亡命。 |
| 1944年秋 | ソ連による再占領 |
| 1949年 | 共産主義の敵として一般市民が数万人シベリアへ流刑 |
| 1988年 | 人民戦線結成。 |
| 1988年11月16日 | エストニア・ソビエト社会主義共和国最高会議による主権宣言議決 |