ボリビア 1995/7/30-1995/8/18:1996/1/14-1996/2/1
| 商業都市 サンタクルス ボリビアの有名な都市は、事実上の首都ラパス、文教都市コチャバンバ、銀の都市スクレ、そして商業都市サンタクルス。三択するといえば、先住民が南米で一番大奥占める国の中で、完全な白人の都市。あまり先住民はいません。逆に言えば、住めないんです。東洋系の顔を見れば、それは日系人か、中華系、そして韓国なんです。 マイアミからボリビア行きの飛行機に乗ると、最初はラパスに降りてからサンタクルスに入ります。サンタクルスで乗務員の交代。ラパスは高地(4000m)だから、高山病になってしまうおそれもあるので。 そんなサンタクルスは空の玄関口だけでなく、鉄道の玄関口でもあるんです。 そんなサンタクルスの街は典型的なヨーロッパの作り方。街の中心に公園。そこを挟んで、市庁舎と教会(カトリック)。そこからドーナツ上に広がっていきます。 中心街は、行政機関や銀行、お土産屋さんがあり、そのまわりに商店が続いています。電気街とか、靴屋街、着物街といったように、売り物別に通りが構成されています。 中心から離れるにしたがって住宅街になるのですが、どの住宅も塀というより壁にはガラスの破片が刺さっています。窓ガラスの前には鉄格子、もちろん泥棒よけですけどね。 |
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| カルト教団 サンタクルス内を歩いていると異様な集団とであいます。大草原の小さな家にあえるのではないかと思うようなファッションをした人たちです。馬車に乗って街まで農作物を売りに来るんです。 完全に文明を拒否した人たち。昔ながらの方法で生計を立てているんです。ちょっと不気味なんですけど、もう数百年続けているとか。だからというわけではないんですけど、チーズとかはおいしいらしく需要があるそうです。 でも、印象的だった風景は、若い人たちが食い入るようにお店の前で放送されていたテレビを見ていたんです。もちろんテレビはダメ。ラジオはいいらしい? 絶対、私には耐えられない世界です。 |
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| 沖縄ソバを初めて食べる 明治時代以降の日本の歴史は豊かになるに従って増える人口問題。ヨーロッパの国軍が新大陸アメリカに人を送ったように日本も人を送りました。サンタクルス周辺には有名な移住地があります。一つはサンファン移住地、そして沖縄移住地です。 沖縄移住地は、太平洋戦争で負け、占領下であった沖縄時代に移住。凄いんです。道が立派。理由は米軍の陸軍の工兵部隊が作ったから。大胆に森林を焼き払い整地したんだそうです。 そんな沖縄移住地の昼食を取った時に食べたんです。沖縄ソバを。おいしいなぁと思いつつ ここでの農業は、サンファン移住地と一緒でボリビアの農業を支えるほど立派なんです。一つはJICAの低利子融資があること、また農業支援が行われているからなんです。移住政策というのは、悲しいかな棄民政策なんですよね。日本を捨て一旗揚げようとした人たちなんです。で農業は成功し、子供たちは大学に進学。勤勉さが出来る芸当かもしれません。 でも、順調ではなかったそうです。 サンファン移住地は、最初に入居した場所と今の場所は違うんです。それには、悲惨な歴史を持っているんです。日本政府とボリビア政府との移住協定にしたがい、多くの日本人が国を離れたのですが、一生懸命開墾した地は、洪水で流されたり、原因不明の風土病で多くの人が亡くなったそうです。 昭和20年代後半から40年代にかけて、食うことが出来なかった人々が日本を離れていった歴史があるのですが、成功した話はあまりなく、今は生活が安定していますが、当時は大変だったそうです。話を聞いただけで、本当の苦労を知るすべはありませんが、このHPを見たもらった人だけでも、知ってほしい歴史の一つだと思います。
ほんのちょっと昔は、日本も貧しかったんですから。
多くの日系人は、農業で成功し、子供をアメリカや日本の大学に送っているそうです。農業の成功の陰には、日本政府からの低利の融資や、JICAの技術的なサポートがあったのですが、弛まぬ努力の成果です。
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| 不可能を可能に マホガニーの人工林は難しいと言われています。木の先っぽに虫が付くと、喰われて枯れてしまうのです。数多くの研究者が挑戦し、敗北していったマホガニーの植林がサンファン移住地で成功していました。元々、マホガニーを植林するつもりではなく、チョコレートの原料であるカカオの被陰樹として、マホガニーを採用したとのこと。カカオの木は、森の中の暗いところを好むみたいで、シェルター(傘)となる木がないと日焼けして枯れてしまいます。すでに20年経った森では、間伐の必要がありますが、立派なマホガニーが生育していました。マホガニーの人工造林の可能性は、何か別の植物と一緒に植えればよい結果が得られるのではないかとおもいます。そのまま植えると、日焼けして木の生長が鈍り、虫にやられますので・・・・・・ |
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| マホガニー アマゾンでとれる重要な樹種としてマホガニーがあります。どれだけ重要な木かというと、昔マホガニー1本で一生遊べたそうで、マホガニーを狩りに行こうという時代があったそうです。一生遊べたかどうかは、眉唾ですが、ヨーロッパでは家具としては非常に重宝していたそうで、場所は変わりますが、イギリスは、グアテマラの東海岸(カリブ海側)を勝手に入ってはマホガニーを取り、またマホガニーを取るために人を送りこんだんです。
何度も、追い返されるのですが、人を送り込むという既成事実を積み上げ、英領ホンジュラスとして植民地にしちゃいました。もちろんマホガニーのためだけですけど。
英領ホンジュラスは、1981年にベリーズとして独立するのですが、独立したはいいけど、マホガニーは国木ではあるのですが、枯渇しているんです。
話がだいぶ脱線しましたが、そんなマホガニーは天然林の中に生えています。
人工造林は非常に難しく、自然の中から抜き切りするんですが、土地は国のものということで、土地の利用権を取得して、(通常は、コンセッションを得るという)政府にお金を払って、木を切り出す権利をもらうんです。もちろん、切った跡は、きちんと木を植える義務があったりするのですが、ここでは、工場の中に病院、学校、教会があり、従業員だけでなく、地域の農民や先住民にもサービスを提供しています。
伐採工場では、そこで製材をした際、木の皮や端材が発生するので、それを燃やして発電を行って、電気を配ったりしているところもあります。アメリカでは、村の発電を一つの製材工場がになっているところもあります。
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日本人が逃げてで来た町 リベラルタ
ベニ州の北側、ブラジルと国境を接する貿易都市リベラルタ。貿易都市といっても、太平洋で上がった荷物(チリ)をアマゾン川を利用して内陸のブラジルの都市に送る中継基地であったり、ボリビアの産物をヨーロッパやアメリカに送る基地であったりするのですが、日系人によって切り開かれた町だそうです。 大東亜戦争といえば、アジアのイメージを持ってしまうのですが、あの戦争は、太平洋戦争の方がいいと思います。だって、太平洋を巻き込んで戦争が行われたわけですから。
アメリカのオレンジ計画に従って、戦争は進められたのですが、アメリカ本国の移住した日系人を拘束し、収容所に送った話は有名ですが、アメリカは、当時独立国であったペルーの日系人も、アメリカ本国の収容所に拘束したんです。
もし、中南米で、アメリカの支配から独立されては困るという理由だったのでしょうか、多くの日系人が財産をなくすのですが、アメリカだって戦争中は結構ひどい事していたんですよ。それが戦争なんですけど
そんな、アメリカの圧力を避けるように、ペルーからアマゾンの密林をかき分け命からがら逃げてきた地がリベラルタだったそうで、日本人の名前を持っている人がたくさん居るそうです。ここでは、他の移住地と異なり、現地のインディオと結婚した人が多く、日本人離れした顔立ち(でも、アジア系ですけど)の人と会いました。大事に戸籍抄本を持っていて、三重出身だとかで、兄弟は、日本に出稼ぎに行っているとのこと
是非、リベラルタを地図帳で探してみてください。
ちょっと違うようですのでこちらで確認を |
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| 水の都 トリニダ ボリビアのベニ州の州都がトリニダ 飛行場の端には離陸か着陸に失敗した軍用機が放置されているのですが、ジャンボも入れる飛行場。ボリビアの中でもアマゾンを体感できるところです。 このトリニダは、雨季のシーズンは周りが水だらけということで、堤防に囲まれており、所々に排水用のポンプ場があります。 この近くに遺跡があり、そこの管理人は5千年前のものであるとのこと。確かに、衛星写真では、運河のような直線的な川があり、土器の散乱状況を見れば、納得してしまうのですが、今後の発掘が望まれます。 こんな町にも、カラオケ屋があり、人々の楽しみの場となっているのですが、この町のボリビア水軍(海がないので)の近くのカラオケ屋は「OSHIN」という名でここでも、おしん人気があります。熱帯雨林地帯は、基本的にお金はないけど、食糧に困ることがないので、何も考えなければ生きていきます。そんなところです。 |
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行けども行けども湿地帯
トリニダの周りは大湿地帯ということで、ネズミの仲間のカピバラや、ワニ、良くわかないけどたくさんの鳥が目に付きます。
ワニといっても、体長1mから5mくらいのものでいて、道には、トラックにひかれてヒラヒラになったワニ皮が落ちているんです。 |
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| 地の果て、エルカルメン ベニ州にあるちょっとした町なんだけど、行き止まりの町なんです。その先に道はなく、本当に地の果てという感じ。ここの主な産業はというより、これしかないといった方が正解と思うのですが、牧畜なんです。肉牛生産のために、広大な森林が牧場になっていました。1haで1頭飼うのが平均的です。だから、何千ヘクタールという土地に何千頭と牛を飼っているのですが、さすが熱帯ということで、昼間は木陰で牛は休んでいます。 |
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土壌がコンクリート
熱帯における森林破壊の現況は木材伐採とよく言われますが、本当は、樹木の更新を妨げる牧場経営ではないかと思っています。 畜産関係は、日本だと、被差別部落問題とかで同和問題が絡んでくるのですが、中南米では、農民のみならず、一般の人々の夢の一つに牧場経営があります。 牧場経営といっても、森林を焼き払って、牧草を植え、1年ごとに火を入れ、牛の好む新芽を出す。それの繰り返しです。毎年毎年乾季に火を入れ、新芽を出して牛を飼う。もちろん、牧場主は、町に住んでいて、管理人(ガウチョ:南米版カーボーイ)に任せっきりですけどね! 毎年、火が入るため、地面が瀬戸物とか煉瓦のようになってしまうのです。非常に硬くて、雨が降っても、地表を流れる。浸透しない。植物の種を植えても、根が拡がらない以前に、育たない。だから、年々牧草まで育ちが悪くなるんです。どのくらい土壌が悪くなったかについての調査で、浸透実験と土壌のサンプル調査をしたときの話です。 茶筒みたいなワッカを地面にさして、水を注ぎます。どのくらいの時間をかけて浸透するか時間を計るのですが、普通の森の中だと、いくら水を注いでも、追いつかないくらい浸透します。生産性が悪くなった牧場では、いっこうに浸透しません。ほんの10年前までは普通の森だった場所なんですけど。 土壌のサンプル調査は、30pほど掘るんですけど、森の中では簡単に掘れます。ただし、根っこを切るのが大変ですけど。 しかし、牧場では、地面が硬いこと硬いこと。ツルハシでもビクともしないんです。ある林業の専門家が、フィリピンの荒廃した大地での植林は、コンクリートに木を植えるようなものと仰有っていましたが、その通りです。 これが、如何に熱帯の牧場跡や放牧地跡で植林を行うか困難であるかの技術的な問題なのです。この問題を解決した企業の話は、別の機会で書きたいと思います。 話を戻しますが、ツルハシやクワで掘ろうとする度に、腰に響くのです。試しに、家の前のコンクリートをシャベルで掘ろうとしてみてください。きっと、理解できると思います。 |
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標高4000メートルでのサッカー小僧
実質的な首都であるラパス ここの空港は標高4082メートルということで、富士山より高いのです。 そんなラパス空港は、もちろん空気は薄く、飛行機を降りると、目の前には酸素ボンベがあります。もちろん高山病のためです。 顔色が変わるのを見たい人は、是非飛行機を降りた後トイレの鏡と睨めっこしてください。青くなっていきますよ。自分で言うのもなんですけど、なんで仕事でこんな目にならなければならないのかと思うほど、地獄を見ます、いえ見られます。 ラパスでは、金持ちは、低い方に住んでいて、貧乏人ほど、景色の良い高いところに住みます。そんな4000mのところでも、子供達はサッカーをして遊んでいます。 こっちは、ゼーゼーハーハーしているのに、うらやましい限りです。 さて、高山病にかかるとこんな風になるんです。 ・頭が割れるような痛みに襲われます。ちょっとでも動かすと、更に痛みが増します。 ・1日目は、ベットから起きあがることが出来ず、ルームサービスのコカ茶で感覚を麻痺させます。コカ茶とは、コカの葉っぱのお茶です。 ・2日目は、体が慣れてきたせいか、部屋の中を歩くことが出来るようになりますが、ゆっくり動かさないと、死にそうになります。 ・3日目になってはじめて外出可能になります。 一挙に、500メートルも下がると、結構体は楽になるそうですが、・・・・・・ コカ茶の偉大さを体験できます。高山病には是非コカ茶をといっても、日本では買えないんですかね? |
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| チチカカ湖 ボリビアの有名な観光地でもあるチチカカ湖 ここではしゃいでいるとどうなるか 上で書いたほどではないですけど、高山病にかかります。 |
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