基本情報
| 国名 | アルバニア共和国 Republic of Albania Republika e Shqiperise レプブリカ・エ・シュチパリセ |
![]() CIAマップ |
| 面積 | 28,748km2 四国の約1.5倍 |
|
| 人口 | 310万人 | |
| 首都 | ティアナ | |
| 民族 | アルバニア人 ギリシャ人(南部) |
|
| 言語 | アルバニア語 | |
| 宗教 | イスラム7割 ギリシャ正教2割 ローマカトリック1割 |
|
| 主要産業 | 農業 | |
| GNI (一人あたり) |
61億ドル (1,560ドル) |
|
| 通貨 | レク(Lek) 1ドル=140.2レク(02年) |
|
| アルバニア語名の「シュチパリア」は、アルバニア人が鷲の子孫であるという伝説に由来する鷲の国という意味があります。また、アルバニアは、ラテン語のalbus(「白い」)が語源とされており、石灰岩質の土地であることから、「白い土地」という意味も含まれている。 | ||
歴史
| 前9〜7世紀 | 北方からケルト系住民が移住 |
| 前7〜6世紀頃 | ギリシア人がアドリア海沿岸に植民都市を開設 |
| 前4世紀 | マケドニア王国の支配を受ける。 |
| 紀元前168年 | ローマに征服され、属州イリュリクムに組み込まれる。 |
| 紀元前130年頃 | エグナティア街道が出来る |
| 4〜5世紀 | ゴート族による支配。 |
| 6〜8世紀 | スラヴ人の南下によって、アルバニア語を話す民族の土地が大幅に縮まる。 |
| 7世紀〜 | 遊牧民族ブルガール人(トルコ系の遊牧民族)が侵入。 |
| 9世紀初め | ビザンティン帝国のテマ属州に組み込まれるが、ブルガール・ハン国の侵入と支配者が交代に次ぐ交代 |
| 13世紀末 | 国土の一部をセルビア人に占領され始められる |
| 14世紀前半 | セルビア王国のステファン・ドゥシャン、アルバニアを併合。 |
| 14世紀後半〜 | オスマン朝トルコ帝国がバルカン半島へ侵入開始 |
| 15世紀前半 | 英雄スカンデルベグの独立運動 オスマン帝国に対する反乱を開始。 |
| 1468年 | 英雄スカンデルベグ死去。 再び、オスマントルクに占領 |
| 1479年 | トルコ領に |
| 19世紀初め | アリ・パシャ・ヤニンスキーの独立蜂起。(失敗) |
| 1911〜1913年 | オスマントルコへ大反逆(自治を獲得) バルカン戦争で、近隣国が軍隊を派遣 |
| 1912年 11月28日 |
オーストリアとイタリアの支持を得て、独立を宣言。 |
| 1913年5月 | ロンドン会議で正式に独立を承認 |
| 1926〜1927年 | ティラナ条約によってイタリアの属国へ アフメッド・ゾーグが大統領が独裁、そして王様に(1928年) |
| 1939年 | イタリアはアルバニアを軍事占領し、保護領 (植民地) とした。→その後併合 |
| 1943年9月 | イタリアが連合国に降伏したため、ドイツ軍が全土を占領。 |
| 1944年 11月29日 |
ソヴィエト赤軍による全土解放。 共産党のホッジャによる社会主義臨時政府誕生 |
| 1946年 1月11日 |
人民共和国を宣言。 ユーゴスラビアの援助で国土復興 |
| 1948年 | ユーゴスラビアがコミンフォルムから追放されたため、ユーゴと関係も断絶 |
| 1961年 | 中ソ対立をめぐってソ連と断交 |
| 1967年 | モスクと教会のすべてを閉鎖、無神国家を宣言。 |
| 1976年 | 中国と決別 鎖国国家に |
| 1985年4月 | ホッジャ労働党第一書記が死去 |
| 1990年 | 無神国家やめる |
| 1997年初頭 | ネズミ講で国中がひっくり返る |