殺身仁民の人
伊藤伝右衛門(1741〜1785)
大垣藩主戸田氏教の命を受け、木曽、長良川の溢れた水が揖斐川に流れ込み(逆流)、繰り返し襲った水害と闘った人
1783年に伏越樋御用掛(ふせこしひごようがかり)になり、翌年春まで工事を行い、 排水路というトンネルを造ったのです。時の将軍 徳川家斎にほめられるほど(資金の半分を幕府が出資)立派なものだったのですが、この年の大水に勝てず、一度壊れるが、翌年春に完成。その後、どのような大水にも壊れることなく現在に至っています。
しかし、膨大な出費に伴う資金繰りのため、完成した1785年の5月23日に、その責任をとって切腹しました。
その功績を讃え、鵜森神社に顕彰碑があるということです。
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こんな政治家がいてくれれば
阪神大震災の悲劇はある程度防げたのに
金森吉次郎(1874〜1930)
明治29年の大水の時に、堤防を切り4万人以上の命を救った偉人です。多くの命を救うために、法律(堤防)を破ってまで行った行為について、頭の下がる思いです。
その功績は、結果として、大垣公園に銅像が立ったことが証明しています。
これ以降、各地の村や神社、寺に、治山のための苗木を寄付する事を始めました。治水事業は、治山事業として山づくりを行っていったのです。そして、1900年に国会議員になり、治山治水の必要性を国家レベルで訴えました。
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山田省三郎
(1842〜1916)
岐阜県柳津町出身の政治家
治山・治水事業のために県会議員として奔放する。
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関連ホームページはこちら
「柳津小学校」 探検ガイド→旧跡→
等光寺(とうこうじ)
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西堀弥市
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