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菊池十郎兵衛
1641年から1847年にかけて浜通北岸に植林をした最初の人


あまり資料が無くてすみません。


武藤茂平
川俣町の酒屋さん
1860年頃(万延元年)に、「植林は不動の貯金」という信念のもとスギ、ヒノキの植林を始めた人




川俣町のホームページ
http://www.town.kawamata.fukushima.jp/home.html


遠藤十次郎&斎藤丹之丞&
中村弥六&宮森太左衛門

明治21年(1888年)7月22日に大爆発した磐梯山
死者461名、秋元、細野、雄子沢の3集落を壊滅させた1000年ぶりの大噴火だったんです。

その荒廃した大地に緑を作ったのが、遠藤十次郎だったのです。遠藤現夢と後で名乗ることに。元治元年(1864年)に会津若松の商家、滝口太右衛門の12男として誕生。米穀を商っている遠藤家に婿養子するんです。才能があったようで、味噌や醤油に手を広げ、運送業や鯉の養殖など手広く商売をしました。いわば地方の名士になったんです。

大正8年(1910年)に荒廃した土地(478町歩余り)を払い下げてもらい、アカマツ、スギ、漆を植林したんです。苗木は、新潟からも調達したそうで、その数アカマツ5万本、スギ3万本、漆が2万本。約1340haの植林を行ったのです。払い下げには中村弥六が総理に働きかけたとか。

資金を出したのが、遠藤十次郎、現場で20年住み着いて森作りを監督したのが斉藤丹之丞。技術的なアドバイスが長野県高遠出身の林学博士中村弥六。また資金協力を側面からしたのが宮森太左衛門。

東洋のスイスにするんだという意気込みで荒廃した噴火の後を緑に変えていきました。最大の難点は、アカマツを根付かせることだったそうで、中村弥六と一緒に現場で技術開発したんだそうです。

明治41年には鶴ケ城にも桜を植えたんです。

今の裏磐梯山に豊かな緑を残したためか、家業は傾き、財産は尽きてしまったそうです。昭和10年(1935年)に没。

生前にお墓を植林地に建て、今そこに眠っています。また、沼の一つ「弥六沼」は中村博士にちなんで名付けたそうです。