時代の先駆者
時代の先駆者としての日本人の存在は、今抱えている地球の環境緑化に役立つと作者は考えています。なぜかというと、自然を破壊して破壊しつくして立ち上がった数少ない民族が日本人だからです。結構、事例を全国各地に残しているんです。林業や森林の分野だけでも。多分、公衆衛生や農業、漁業、工業も探せばいろいろあると思います。
 私自身の勉強不足もありますが、集めている資料で植林をして、森を作って生活環境を維持し、発展したのは、デンマークと日本だけ。

 でも、歴史を見れば日本のほうが先というか大先輩。デンマークは19世紀にダルガス親子が代表とされるヒースの開墾(開拓)。背景は、戦争に負けたからで、使える土地が奪われ、使っていなかった土地を使うために防風林を作り、農地を保護したというもの。1864年にプロシア・オーストリア連合軍に敗れて肥沃なシュレスヴィヒ、ホルシュタインの二州を失ったからであって、その穴埋めとして、40年かけて国の再編成をしたんです。
 まぁ、戦争に負けたことがそもそもの間違いなんですけど(ちなみに、この話に色が付いたのが「デンマルクの国」という内村鑑三の話のネタ元)。これは、戦争に勝っていたなら起きなかったかもしれないのです。だから、参考にはなりにくいといえます。

 一方で、日本は1603年の関ヶ原の合戦を契機に、徳川幕府の誕生。大阪夏の陣を境に戦争も終わり、産業の発達、人口増加でこれまで使われていなかった土地が開墾されることに。
 それに伴い、洪水などの自然災害の多発1660年(万治3年)に山城、伊賀、大和で木の根取りを禁じ、苗木の植栽令を発布して淀川水源の安定を図った事が始まり、この6年後の1666年(寛文6年)に、「諸国山川掟」が発布され、水源地域の草、木の根の掘り起こしの禁止、また樹木が少ない上流域に植林することが始まります。
 官民あげて植林が始まるのです。
 佐賀県の虹の松原、大分県の佐伯市の海岸林、長崎県の千々石海岸等々いっぱいあるんです。

 時代の先駆者というのは、今世界中で森が無くなり、苦しんでいる中で、先進国や国際機関が森作を、ここ30年近く行っているけど、芳しい成績を上げている箇所は少ないんです。このため、社会林業(Social Forestry, Community Forestry)、住民参加型林業という言葉はあるが、四苦八苦しているのが現状です。たかが30年で根付くというものでもないのかもしれませんが。で、先駆者というのは、日本でも元禄時代にこれらの問題を経験済みなんです。体験済みというかある海岸林を造成する話では、始まりは、村にお金を渡し、海岸林の造成、維持管理を頼んでいたんですけど、この補助金が途切れることを恐れ、ちゃんと森作りをしなかったそうです。森が出来なければ、補助金が来る。森が出来ると補助金が来ない。年貢を納めなければならないなど、短期的に見て農民側に不利と写ったからでしょう。同じ事が、途上国でも起きています。森が出来ると雇用の場が無くなるので、適当に森が出来ると、燃やして一からやり直し。また仕事が出来るといった具合にまた、計画的に植林を実行するが、ウサギに食われた、気象害でやられたといって植林が成功しないため、次の年も予算をもらうなど(その予算がどこに消えているのか)お金ほしさにちゃんと森を作らないんです。農民に植えさせても、農繁期と植林時期が重なり、本腰を入れて取り組む気になれなかったりと、失敗している限り、お金が入ってくる、生活保護を受けられるという受け身の態度で自立心が育たなかったんです。(今、自立発展が国際協力で求められているが、いわゆる援助なれ状態になっているのと一緒)このままでは、財政が逼迫するということで、江戸時代、藩が中心となって行政主導で、植林を開始するんです。ここで、様々な技術開発が藩の役人の手で生まれ、活用されます。(代替技術開発に20年〜30年)。ここまで来れば、ある程度森が出来、その効果が分かるようになると、初めて傍観していた農民も参加することになるんです。森があると暮らしが良くなるということが分かって。 だから、この手のプロジェクトは、時間がかかるのに、短期間(5〜10年)で成果を求めるなど、焦りすぎのような気がするんですけどね。昔の日本を見習う必要があると思うんですけどね。なかなか、林業関係者以外の人には理解されません。即効性のある対処方法ではないのに、体質改善には時間がかかるということが分かってもらえないんです。

 森が出来ると、次は維持管理になるのですが、これが結構コスト高になるんです。そこで、維持管理をその森に裨益を受ける村に任せることにするんです。立っている木はもちろん伐ることは許されませんが、落ち葉や落ち枝は利用して良いとか、松露はとって良いとか、利用権を与え、責任を与えるんです。すると、森を壊すことは農業に被害を与えるため、一生懸命保護に努めるという流れが生まれました。数多い諸藩があった江戸時代、一藩だけの話ではなく、日本全国で見られる話です。それだけ、農民レベルまで教育水準が高かったと言うこともいえます。管理費をケチったために、森がダメになった例としては吹上浜があり、農民に利用権を与えて残ったところとして風の松原があります。

 すばらしいことではないでしょうか 事例の宝庫なんですから

 後は、こういった話がもっと多くの人に知ってもらうことかもしれません。

森と神様