耳と自然観と焼畑
日本人には西洋人にない物を持っていると言います。虫の音を聞き分ける能力というか、自然を感じる能力です。

その結果が、季語を盛り込んだ和歌、そしてその集大成が俳句。日本人の詩的感性に象徴されるのではと思うのですがどうでしょうか。
では、その能力はどうやって築かれたのか。

 たぶん焼畑のおかげではないかと感じるんです。縄文時代にもう稲作は始まっていたとのこと。でも、陸稲であって、水田稲作ではない。これは焼畑による米の生産。野を焼き、害虫と戦い、収穫すると自然を相手に目を開き、耳で音を聞き取り、生きるために全身で自然を感じる必要があったのだと思います。

陸稲とはいえ、米を食べる文化(素地)があったので、登呂遺跡を代表とする水田耕作が、水稲栽培が容易に、かつ短期間に広まったのではないでしょうか。

古い文献の生活の様子を見ると、京都近郊でもあちこちで焼畑が行われ、室町時代には、寺の領地の森に農民が入り込んで森を焼くので困るとの話があります。その結果が、関西近郊の林はマツ林と、土壌養分を使い切った結果のような気がします。

 焼畑農耕では、いろいろな自然からの信号をキャッチして、種をまいたり、雑草を取ったり、収穫したり、木を燃やしたり、耕作を放棄したりと自然の観察力無くしては無理の話。結構手間暇かかるんです。自然を理解しなければ出来ない農法なんです。
 縄文時代、弥生時代と焼畑をして築き上げられた自然の観察力遺伝子に取り込まれたのだと思います。 そして貴族をはじめ多くの文化人や教養のある農民(たぶん篤農家)は、その感性を詩で表現したのではと。

 台風のことを野分けと言います。たぶん、大風が吹いて、草が倒れるので、そう呼んだのではないでしょうか。それだけ草地が多かったのでは。それは、焼畑によって森を焼いて農業して、そして放置し草が生えていたから。こんな風に考えてしまいます。

 是非、みなさんの声を聞かせてください。

 今、日本で焼畑は、新潟の山北町と宮崎の椎葉ぐらいで行われています。あちこちで復活すれば、個人的にはうれしいのですけどねぇ。

森と神様