注連縄が木を守る 熊本の吉無田水源に行ったときにふと思ったことを書きます。
本当は、注連縄について勉強しないといけないんですけど
それは、宿題として
(注連縄の蛇の化身で不老不死の意味があるみたいですが)
木を守る、森を守るのに必要なのは1本の注連縄
木に注連縄を巻くだけで、誰も切らないのです。
いや、切れないんです。
神社などの巨木に注連縄が巻かれているのは当たり前で気付きませんでした。
昔からありそうな木だからです。御神木として大きな木なんですよね
昔は小さかったはずですので、いつから注連縄がされたか分かりません。
吉無田水源の木は、人工林なのです。
人によって植えられた木なんです。
神がかっているというか、御神木という性格ではないです。
どうみても、普通の木なんです。
自然を破壊しない方法として、神社を造る方法が、日本の知恵なんでしょうかね
木が無くなれば、土石流や洪水の被害
重要なところに神社を造って、災害を防ぐという知恵
それが神社のような気がします。
(神社はそれだけでなく鉱物資源とも結びつきがあるのですが)
吉無田水源の取水口には、水の神社と、山の神社があるんです。
立派な神社ではなく、ちょっとした祠なんですけど
でも、今なお荒らされることなくおいしい水を供給しています。![]()
山の神・水の神だったかな
そのまわりにある木に注連縄がしのているです。伐るなと
これによって、水源の森を守っているんです。
伐ることによって祟りが起きるわけはないのです。なぜなら、人工林でその周辺の木と同じですから
象徴としての木と注連縄
注連縄が、心に何を訴えるのでしょうか
不思議な感覚が襲いますが、センスがないので上手く表現できません。
日本以外では、あまり見ないんです。注連縄というか、似たような方法で木を守るというか、保護するというか
ミャンマーで神棚がまつられた木があって、それは切れないのですが日本の神道というより自然崇拝に近い信仰があります。
心のブロック
持続可能な森林経営というか、環境を守るには、どんなきれい事をいうより、自然に感謝するということなんだと思っています。
注連縄が、神(自然)の存在を心に呼び起こすのでしょうか
これからもっと調べてみたいです。
是非、皆さんのご意見を聞かせてください。
ミャンマーの注連縄(?)
神棚が木に付いています余談ですが、知床の伐採問題が昔ありました。人間が木に抱きついて伐採を阻止するという林野庁対環境団体との闘い。林学を勉強した者として納得できる環境保護運動とはとうてい思えず、チェーンソーで木ごと人も切っちまえばと思っていました。
その時、木に人の代わりに注連縄だったらどうだったんでしょうね