水害防備林の歴史
水害防備林自体は、自然発生的に出来た物と考えています。ただし、戦国時代に入り、住民とうまくつきあっていく、住民が敵にならないように、治水事業を大事にする戦国大名が生まれてきたと考えています。

水害防備林が、戦国時代にあちこちで作られたのは、そのような背景があったと思います。食糧確保の目的もありますが。

明治時代に入り、ヨーロッパの技術が導入され、日本と異なる環境の技術が導入され、整備の進んだ河川では水害防備林は姿を消すことになります。堤防の天端や法面に大きな木を植えることは良くないとなったからです。一方、整備の遅れている河川では、結果論ですが、残ることになったのです。

年  西暦  事項   タイプ  
水除林 堤塘林 護岸林
大宝2年 702年 大宝律令
営繕令
「凡堤 内外并堤上、多種楡柳雑樹、充堤堰用」
     
大同元年 806年 大井山(山城国=京都府)の土砂流出防止のため、河岸の竹林の伐採禁止(太政官符) 世界最古の保安林法      
天長10年 833年 令義解(日本古代国家の基本法である『養老令』のマニュアル)
「凡堤内外并堤上。多殖二楡。柳。雑樹一。充二堤堰用」
養老令は、大宝律令の改訂版
     
宝亀5年
 ~
承和2年
774年
 ~
835年
島根県江津市桜江町甘南備寺に立ち寄った佐伯眞魚(弘法大師)が治水と産業目的に竹木を育成。      
江の川(島根県)の統治を任された伊勢山田の笹畑某が、山田二郎国久とともに、竹林造成。      
天文11年 1542年 武田信玄が、栗、榎、柳、桜、胡桃、欅、苦竹を釜無川の堤防に植林(信玄堤)    
天正8年 1580年 加藤清正が菊池川に竹林を植栽     
天正11年 1583年 笛吹川に赤松、欅、榎を植栽(万力林)     
文化7年 1589年 太田川に桃を植栽       
文禄3年 1594年 淀川に竹を植栽      
慶長年間 1596年
 ~
1614年
嘉瀬川(佐賀県)に成富兵庫が竹を植栽     
慶長8年 1603年 大竹川に竹を植栽(御建藪、福島堤防) 
多分、福島正則の広島入城時
   
慶長12年 1607年 加藤嘉明が、重信川(愛媛県)に竹、赤松、黒松、アベマキ等を植栽(石手堤防)       
慶長14年
 ~
慶長18年
1609年
 ~
1613年
伊奈忠次(?)が長良川に杉を植林(御囲堤)       
寛永年間 1624年
 ~
1643年
筑後川に成富兵庫が竹、杉、柳を植栽(千栗堤防)      
慶安以前 1648年
以前
藤堂高虎が木津川に竹を植栽      
承応年間 1651年
 ~
1654年
野中兼山が、仁淀川(高知県)に竹を植栽      
寛文6年 1666年 「山川掟」を制定。     
寛文7年 1667年 検使を派遣し、     
貞享元年 1684年 再度、「山川掟」を発布    
貞享4年 1687年      
宝永4年 1707年
正徳3年 1713年
寛保2年 1742年
延享2年 1745年
安永3年 1774年
安永4年 1775年
天明5年 1785年
寛政元年 1789年
明治29年 1896年 河川法の制定
参考:河川環境管理財団 流木災害軽減対策と河川樹木管理に関する総合的研究 

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