水害防備林 久慈川 

 久慈川は、茨城県、福島県、栃木県との県境に位置する標高1,022メートルの八溝山を出発点に、山間部をくねくねしながら、山田川、里川等の支流を合わせ、太平洋に流れ込みます。
 流域面積は約1,500km2、流路延長は527km(久慈川124km、その他403km)です。

 川幅は広いけれども山地から押し出される土砂によって、河床が高まり水位の上昇が余儀なくされてきました。このため、江戸時代から竹を植林してきたんです。本流と支流の合流点付近を重要視して竹林を配置してきたのです。
水戸藩時代は、「御立山(おたてやま)」と呼び、一般市民の利用禁止の扱い。その後、民有地になって、組合組織で管理しているとのこと。水流が強く当たる部分や本流と支流の合流点付近を中心に分布しています。

 地元では、「タケヤマ」「御楯山」という呼称を持っています。水戸藩が、久慈川の竹林を藩有林にしていった関係で、「御立山(おたてやま)」と呼んだからかもしれません。洪水対策としての蛇籠用の竹の調達先にしていたからです。

 文久2年(1862年)に辰ノ口に住んでいた木村彌次衛門が洪水の跡を見回っているときに、竹の根が残っていたのに気付き水害被害が最小になると考えたのが始まりだそうです。それに加えて、竹を売れば収入も入ります。籠から釣り竿、ザル等々、竹細工で人は生活していましたから。 

 これより先の、文政3年(1820年)に、小倉村の庄屋となった沼田伝蔵が、築堤とともに川岸に真竹や柳の植栽を進めましたとの記録もあります。堤防強化が目的の植林です。

 明治43年(1910年)に国有林から村の共有林に払い下げられました。村では、お金を払い監視人を配置、収益は村の費用に充填する方法がとられていました。場所によっては、全ての株を村人個人の物とし、管理を共同で行う事もありました。管理を竹材業者にまかせている場所もあったそうです。


展望台より辰ノ口水害防備林

飛行機から見た辰ノ口水害防備林。


親水公園から見た辰ノ口水害防備林



桜堤。春には花見で綺麗なんでしょうね。
でも、11月下旬は、サケの遡上が見られました。



左側の竹林の外に久慈川です。


竹林の中の様子
結構、込み入っている様子ですが、良い状態かどうかは分かりません。

作業道のアスファルトを持ち上げる竹の根の強さ

これが、川側。






堤防の内側に竹林が配置されているのが特徴で、マダケが中心で、一部モウソウチクにメダケ。上流域には、ケヤキ、エノキ、クリ、ヤナギ、ハンノキ、スギ、ヒノキを混在させている。下流域は、クロマツを混在させてきたんです。
場所によっては、ニセアカシアやクルミもありました。

所有形態は、ほとんどが部落有林で、社寺林、村有林もあったそうです。

昭和29年9月の台風14号の被害では、9月17から19日の3日間で200ミリ以上の降雨があり、平均水位0.95mの川が、最高水位5.45mに達する雨にもかかわらず、立派な竹林の場所は被害を逃れ、不良竹林や水防林の無い場所では、堤防の決壊による農地の埋没、流出の被害を受けたそうです。

町村 延長(m) 幅(m) 面積(ha) 竹の種類と混生樹種 所有形態
久慈 袋田村 3,200 10-30-150 12.0 マダケ、モウソウチク、クリ、ケヤキ、ニセアカシア  
那珂 山方村 1,800 12-100 7.5 マダケ、ケヤキ、スギ 村有
那珂 大賀村 2,500 15-40-100 10.6 マダケ、ケヤキ、クヌギ、クルミ、スギ、ヒノキ 社寺有
那珂 大宮村 1,500 20-50 3.4 マダケ 部落有
那珂 上野村 1,600 15-40 4.5 マダケ、ケヤキ、メダケ  
久慈 世喜村 8,300 15-120 43.8 マダケ 大部分が部落有
那珂 額田村 1,100 10 1.1 マダケ  
  20,000   82.9    
古い資料(水害防備林:上田弘一郎より)             那珂郡→常陸大宮市 久慈郡→日立市

 上田先生の水害防備林によれば、良好な世喜村のマダケは、大きい物で目通り周囲1尺2寸(36cm)、直径11センチ。多くは、6から7寸(18~21センチ)、直径5~7センチだそうです。1アールあたり120本(ヘクタール12000本)。このため、竹の間隔は80×100です。
 竹幹に発生した年を印付け、4年生の竹を収穫することで、良林を維持したそうです。




辰ノ口親水公園

何も説明が無いのが悲しい展望台。
ここから、辰ノ口水害防備林(延長2キロ、総面積12.1ha、平均幅61m)と、桜堤が見ることが出来ます。

辰ノ口親水公園にある「ふるさと館」

サケ資料館があり

水辺の魚を紹介。食べ方まであればもっと良いかも

漁具の展示

ヤマメやイワナもいました。
辰ノ口堰の歴史も紹介されていています。
水害の被害等の昔の写真も展示しています。
大正9年10月1日の大水害では、増水位は5~6メートルに達したそうです。浸水家屋は400戸で、親水公園のある地域の7割の家屋だったそうです。冠水したものの、堤防が決壊しなかったため、堤防の決壊による家屋の流出などは起きませんでした。
山方宿にて

水害地なので1階は、倉庫。住居が2階

土盛りしている民家。そうで無い家もありました。
普段のことを考えるのでは無く、数年、数十年に1回に備えなければ全てが無駄に



川除林の残骸? 松の巨木が数本残っていました。山方宿 清流公園
竹林が除去されて残ったのが松と言うことでしょうか?

右側が久慈川。左は、堤防です。計画的に植えられた感じでした。


久慈川の支流 山田川 棚谷町付近


穏やかそうな川ですが、増水時はすごいんだと思います。

竹様々です。



リンク

●国土交通省より
  http://www.ktr.mlit.go.jp/hitachi/hitachi_index002.html

参考文献
■久慈川中流域における水害防備林の立地と機能. 長尾朋子(東京女学館)地理学評論77-4 183-194 2004
■久慈川中流域における水害防備林の地形学的立地と地域住民による保全(修理論文要旨)
                                        長尾朋子 お茶の水地理 第39号 1998年
環境百科久慈川
久慈川のほとり リバーサイドレポート 第15号 久慈川の洪水と治水 会澤 義雄
河川植生管理論 - 財団法人 河川環境管理財団

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